完全手造り蓋麹、木槽(もくそう)仕込みの手間暇かけた究極の芋焼酎
いも焼酎「青潮」が人気急上昇中の祁答院蒸溜所より新たに素晴らしい焼酎ができあがりましたので、ご案内します。
通常、いも焼酎の麹というのは機械化されていることが多く、手造りで行っているところは非常に数少ない物。
今回ご紹介するいも焼酎「木々の目覚め」は完全手造りの麹造りを実践しており、しかも日本酒でも出品用の大吟醸など最上級品にしか行わない「蓋麹法」によって手間暇を掛け、じっくりと少量生産されています。
もう一つ、特筆する点は「木槽(もくそう)仕込み」。
通常、焼酎はカメかホーロータンクで仕込まれる物ですが、この蔵では左の写真のように木の桶で仕込んでいるのです。
木槽は、木製(杉)の容器(木のお風呂のようなもの)です。木の厚みにより、外気温の影響を受けにくく、保温性、保湿性が高い特性があります。このため、もろみの発酵が穏やかに進み、発酵ムラがなくなることで、酒質への好影響を与えると言われます。
ただ、ホーロータンクと違い、木槽は呼吸をしている木でできているため、製造過程において、とても手間暇がかかり、製造量が少ないです。
杜氏は当店の看板焼酎「なかまた」や「明るい農村」などと同じく今や数少なくなってしまった技巧派杜氏集団、黒瀬杜氏の一人、黒瀬明さん(写真)。
黒瀬杜氏とは薩摩半島の南西部の端に、南さつま市笠沙町には「黒瀬」という地区があります。
山の斜面に沿って築かれたこの地区は、広い耕地に恵まれず、人々は半農半漁、重ねて、農閑期には男たちが出稼ぎに出て生活を支えました。
明治32年、法律によって焼酎の自家製造が禁止され、蔵元がつくり手を雇い入れるようになり、黒瀬地区の男は蔵元へ出稼ぎに行くようになりました。
蔵子として入り、やがて焼酎製造の技を学び、経験をつんだ者の中からは焼酎製造の職人(杜氏)も生まれ、仕込みを任されるなどと評判になり、黒瀬地区から1人、また1人と焼酎造りに携わるものが増え、昭和30年代には黒瀬地区で杜氏や蔵子合わせて300余人が、毎年、蔵元に出て行きました。鹿児島の蔵元のほどんどに「黒瀬」出身者がいる状況で、その活躍の場は九州各地の他、山口や四国まで及んだと言われます。
しかし、昭和40年代の日本の高度経済成長期とともに、焼酎製造においても、大量生産のための機械化がどんどん進められました。
焼酎造りで最も人の技、経験がいるとされる「麹づくり」の自動化にも成功、また昭和50年代の空前の焼酎ブームにより、ますます機械化が進み、黒瀬杜氏の活躍の場は、次第に狭められていきました。
現在、「黒瀬杜氏」は、10数名ほど、その中でも現役で活躍しているのは、ほんの数人と言われます。
祁答院蒸溜所では、「昔ながらの焼酎造り」にこだわり、「木槽」を使ったり「手造り麹」での仕込みに取り組むと決め、製造開始にあたり「黒瀬杜氏」の、技や伝統を受け継ごうと、黒瀬地区に足を運び、黒瀬杜氏を探しました。
黒瀬 明(くろせ あきら)氏は、昭和9年に黒瀬に生まれ、20代から焼酎造りに携り、鹿児島県各地や、宮崎、本州では三重県まで杜氏として40数年渡り歩いてきた、熟練の黒瀬杜氏です。
H19年の時点では、黒瀬さんは73歳と高齢なこともあり、黒瀬地区で奥様と共に半農半漁の生活に戻られていました。しかし、何としても昔ながらの技術・経験を持った黒瀬杜氏から教えを請いたいと、無理を承知で何度もお願いをし、平成19年10月の製造開始から、来ていただいています。
若い蔵人が少しずつ経験を積み、機械を使っては知ることのできない「手造り」の焼酎製造技術を、今に受け継いでいます。
(鹿児島県 祁答院蒸留所)「木々の目覚め」「青潮」ご購入ページ:http://yamazakiya.biz/kedoin.html
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