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懐かしきベトナムの焼酎

ブログを書き始めてから今日で三週間。

季節的に日本酒が中心となってしまいまだ焼酎のことを書いていませんでしたね。

焼酎についても書きたいことがいっぱいあるのですが、今日は私の思いでの焼酎をお話ししようかと思います。

東京では昨今の「焼酎ブーム」を収まりを見せ、ブームだからといって無理な造りを行わず、堅実に造り続けてきた蔵のみが確固たる地位を確立し、良い蔵、悪い蔵がうまくふるいに掛けられたと思います。

焼酎はもともと「庶民のお酒代表」的な存在であると私は考えるのですが、ブームが終わってみるといつの間にか「高い酒」になってしまっているように思えてしまうのは私だけでしょうか?ブーム前は皆もっと手頃だったはずなのに・・・これには様々な原因が考えられるのですが、その話はまた今度。

今日、お話ししたいのは「焼酎の原点」とも言えるベトナムの焼酎についてです。

ベトナムは私が好きな国の一つなのですが、初めて訪れたのは10年以上も前の話。

それは大学の卒業旅行として友人達と三週間ぐらい滞在したのですが、一緒に行ったのは一人が大きな美容院グループの後継者で、もう一人が全国でも有数の造園業の後継者と私は小さな酒屋の後継者でしたが、皆「跡取り息子」という共通点がありました。

最初はリゾートでパッと盛り上がるかとリゾート地を探していたのですが、もうすぐ大学を卒業し、各企業で修行し、家業を継いでそれぞれの家を守っていくと考えたときに「リゾ-トなんていつでも行けるからもっと勉強になるところに行こう」ということでベトナム行きが決定しました。

何故、ベトナムかというと当時はまだまだビザの制限も厳しく、現在の様に思い立ってすぐに行けるような国ではありませんでしたし、僕らには一つのキーワードがありました。

私達の世代は親やおじいさん達に最も「戦時中と戦後復興」の時代の話をよく聞かされた世代だと思うのですが、「昔は貧しい中でがむしゃらにがんばった。そんな時代を知らない今のお前達は全然ダメだ」と言われても正直、そんな時代を経験していないのだからわかるわけないじゃん」といつも思っていました。

しかし将来を考えるにつれそういう世界を自分の目で見てみたいと思うようになり、丁度、急激な成長をし始めていたベトナムに決めたのです。

同じ理由+アンコールワットが見たいという理由でカンボジアも訪れたかったのですが、当時のカンボジアは内政が最悪で、夜6時以降は外出禁止、外国人であるか否かに関わらず銃による強盗殺人が多発していたために旅行会社と大使館からも止められさすがに行くのを断念しました。

現実、バンコクでの乗り継ぎ時に本来は僕たちが搭乗を予定していた便に日本人老夫婦が「危険だから」という理由で搭乗拒否されていました。

彼等達はボランティアをしている娘さんに会いに行くというので僕も掛け合ったのですが、あまりにも拒否されたので「止めた方が良いのでは?」と告げました。あの後は会うことができたのでしょうか・・・

初めて降り立ったベトナム最大の都市ホーチミンは人とバイクの排気ガスと騒音の渦巻く町でした。

町中は現在のようにさほど高いビルもなく、人々は我先にとせわしなく動き回っているのですが、どことなく懐かしく素朴さを感じさせる町並みで働く人達の目は活気に溢れ、まさに「今を生きる」という印象を受けました。

そこには戦争を体験した方々に聞いていた「生きる」世界があったのです。

そこでは目を背けたくなるベトナム戦争の現実が生々しく残っており、町中に溢れる物乞いやストリートチルドレンを横目にすでに成功を収めているビジネスマンを見ていると色々と複雑な気持ちが沸き上がってきましたが、どこに行っても活気溢れる市場を訪れると皆、それぞれに「生きる」ことに必至なのだと感じさせられました。

この旅行で感じたことは社会に出てからの私にとって非常に重要な体験となっています。

中でも市場はまさに庶民の台所であり、小売業の私にとって現在の日本では決して知ることのできない基本を知る最も重要な場所でした。

さて、またまた長くなってしまいましたが焼酎の話に戻ります。

このときの旅行ではホーチミンだけでなく、現在は一大リゾート地となってしまっているニャチャン(当時は今のようなリゾートホテルはなく空港すら誰もいないような所で非常に素朴な町でした。世界一古い仏教寺を目指してサイクリングオススメです)をはじめ、色々な所を周ったのですが、その中で印象に残ったのがメコンのジャングルで暮らす方のお宅訪問。

そのお宅は養蜂農家だったのですが、家に着くと自家製の焼酎にお湯、取り立てのハチミツを入れ、木からもいだレモンをギュッと絞り飲ませてくれました。

このときの味は今でも忘れられないほど美味しく、友人二人と私はすでに超がつくほどの酒飲みだったためにアルコール度数が50度以上もあったにもかかわらず、一気にガンガン飲んでしまったのですが、この村では「酒の強い男が一番」らしく「うちに嫁いでくれ」と本気で頼まれてしまい、もう日本へは戻れないのか?とかなり困りました。

その時飲んだ焼酎はベトナムでは非常にポピュラーなもので郊外に出ると道ばたのあちこちで造られており、プレハブの小さな醸造所の前に石油を入れる大きなポリタンクに詰まった焼酎が山積みになっている光景をよく目にします。

この焼酎は米から作られたいわゆる「どぶろく」を簡単な蒸留器で蒸留するだけなので繊細さなどはなく荒々しい物ですが、造りが単純なだけに「旨味」が残っており、素朴ながら美味しいもので「焼酎の原型」とも言える物です。

焼酎には体温を下げてくれるという効果がありますので、40度近い炎天下でハチミツレモンお湯割りは体に優しく本当に美味しいものです。

日本の焼酎の歴史は何通りか説があるのですが、シルクロードから伝来した説、フランシスコザビエルがキリスト教普及に伴い、ポルトガルから持ってきたという説(当店ではザビエルが伝承したとされる長崎県平戸・福田酒造の麦焼酎「かぴたん」を取り扱っています)。そして最も有力とされるのがシャムの国(現在のタイ)から伝来したという説。

恐らくは日本に伝わった焼酎の原型は私がベトナムで飲んで感動したあの焼酎ではないかと勝手に思っています。

当店がある永福町では「永福町限定」でこの辺りの酒屋さんだけで取り扱っている「はなたま」という米焼酎があるのですが、この焼酎はあのときの味を少しイメージして私がブレンダー(調合師)を担当いたしました。

この焼酎は次回、このブログで紹介させていただきたいと思います。

まだまだ景気回復はほど遠いような気がしてならない昨今、こんな時代こそ私がベトナムで感じた「活気」と「生きる」大切さを忘れてはならないと思います。

特に問題の多い「食」に関連した企業は本来あるべき姿の農業や市場を見つめ直した方が良いと考えます。

ベトナムやカンボジアは本当に良い国で、人々は優しく受け入れてくれます。

ホーチミンはすでに最先端の町となってしまい以前の面影は薄くなってしまいますが、ベトナム中部などはまだまだ発展途上で活気に溢れています。

もし、春から社会人になる学生さんがこのブログを見ていたならば、卒業旅行に訪れてみてはいかがでしょうか?

社会に出たときにきっと精神的な支えとなってくれると思いますよ。

当時の写真がすべてダメになってしまったために今回は御紹介することができず、ちょっと伝わりづらかったかも知れませんが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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